2012年4月8日日曜日

書き始めますよ

以前、日記だったりブログだったりを書いていたことはあったのだが、twitterを利用し始めてからはめっきり長文が書けなくなってしまい、放置するのもアレだったので、そのまま閉じてしまった。どうせtwitterやってれば一緒だろう、などとそのときは軽く考えていたのだ。そもそも、私ごときが日々の生活を晒したところで、一体誰の役に立つというのか。毎日意地になって書いたところで、限りあるインターネット資源の枯渇を招くだけなのでは……私の心に棲むネガティブさんの囁きに「そうだそうだ!もう日記なんか書かないでボソボソつぶやいて暮らすんだ!」と応え、私は筆を置いた。そして、二年の時が過ぎた。


ところが、三十歳を目前にして、ひとつの問題にぶちあたった。自分の記憶力が驚愕するレベルで低下しているのだ。十数年ぶりに友人と会い、酒場で語り合っている際に「ほら、同じ吹奏楽部だった一歳上のクラリネットの○○先輩さー」などと言われても、私はその○○先輩の顔も声も姿かたちも、そもそも名前までをも覚えていなかった。職場で同僚に週末の報告をする際も「昨日なんだけどさ、ほら、アレ。東京のさ、あそこだよー。あの、今話題のさ、アレが有名なあそこに行ってきた」などと口走る始末。同僚たちの顔に浮かぶ困惑の表情を見たくないがために、私はこの二年でどれだけ無口になったことであろう。


しかし、十年前から二年前ほどのことは、案外普通の人たちと同じ、もしくはそれ以上のレベルで記憶をしていることが判明した。そして、その時期は、日記をしたためていた時期とぴったり合致するのだ。一日あったことを深く思い出し、それを文にすることで、脳を活性化させていたのかもしれない。おかげで、知人に「そんな話、私は聞いたことがない!」とキレられても、「いや言った!六年前の冬、私はアンタに千文字を超える長文メールを送った!!」とキレ返すことができた。先週の自らの発言には責任を持てないが、六年前のことならつい昨日のように思い出せる……これこそ、日記の素晴らしさなのだ。『鬼子母神なう』などと呟いても、未来の私は「ところで鬼子母神に何しに……?」と困惑して終わるであろう。これこそが、呟きと日記の違いなのだ。日記は人に求められるから書くのではない。未来の自分のために書くのだ。そんな簡単なことに、二十代も二ヶ月を切った今、ようやく気づいたのだ。


というわけで、新年度の始まりでもない半端な時期ではあるが、今日からこのスペースを借りて日記をしたためていこうと思う。長文を書くのは久しぶりなので文章がおかしい点もあるだろうし、自分の備忘録的な位置づけなので面白みのかけらもないものになるであろうが、どうかご容赦いただきたい。長く続けていければと思うので、ご覧頂けました方、どうぞ末永くよろしくお願いします。

0 件のコメント:

コメントを投稿