2012年4月11日水曜日

優しさに包まれたなら

臨月間近の妹に「最近どうよ」と短いメールを送信したところ、「切迫早産の疑いがある上に胎児の成長が鈍く、このままだと今週末にでも帝王切開で取り出すことになるかもしれない」という返信があった。生まれた土地から五百キロも離れた土地で初産を迎える妹。その上に切迫早産だの帝王切開だのと言われては、不安で仕方ないだろう。遠く離れて何もできない我が身が、歯がゆくて仕方ない。こんな時に役に立てず、一体何のための兄だというのか。


だが、話によれば、旦那の両親がとても良くしてくれているらしい。特にお姑さんなどはことあるごとに「何か必要なものはないか」「辛いことはないか」と気を回してくれ、どうしてもしんどいときに買い物をお願いした際には、夜に電車に乗って駆けつけてくれ、しかも「こんな時期に家に人を入れたら疲れちゃうでしょ」と言って玄関先で物だけを渡して帰っていったという。なんと優しい人なのだろう。たとえ妹が私の家の近くに住んでいたとしても、私にはとてもそんな芸当などできない。心底ダルそうな妹を「茶くらい出せやズベ公」などと口汚く罵り、胎児に最悪の影響を与えるであろう。多分、お姑さんは私などとは人間として立っているステージが違うのだ。これだけ大切にされているのであれば、妹が実家での出産を選ばなかったことも頷ける。


しかし、妹を幼い頃から見守ってきた私や父にだって、妹に対してしてやれることがきっとあるはず。特に父は、母がいなくなってからは片親としてずっと妹の世話をしてきたのだ。母親の役割を務めることはできなくとも、彼は彼なりに妹を愛し続けてきたのだ。お姑さんも大事にしてくれるだろうが、父もそろそろ妹に「あぁ、私、本当にお父さんに大事にされて、愛されてここまで来たんだね……」と実感させるくらいの行動に出てもいいのではなかろうか。優しさを振りまき、お姑さんと同じステージで妹を見守ってもいいのではなかろうか……そんな風に考えていたところ、タイムリーに父からメールが届いた。きっと父も帝王切開のことを聞いたに違いない。きっと、妹を気遣い、何かをしてやろうという相談であろう。私はそっとメールを開いた。


『件名:わお!

 本文:帝王切開でもうすぐ生まれるぞ!わしの孫!うれしい!!』


私はそっとそのメールを消去し、携帯電話の電源を切った。お姑さんは、私と立っているステージが違うのではない。私たち親子がステージにさえ立てていないだけだった。雨にけぶる街の景色が、別の何かで滲んだ。

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