2012年4月15日日曜日

ご近所物語

この街で暮らし始めて二年と三ヶ月が過ぎた。横浜か川崎かわからない治安の悪い街、と揶揄される場所ではあるが、交通の便は良いし、何でも安い商店街が身近にあるし、とても気に入っている。


二年以上も暮らしていると、もう顔なじみの人もできてきた。新聞配達のお兄ちゃんには顔を合わせるたびに「もうこんな仕事やってられないっすよマジやめてえ……」と愚痴られるし、スーパーに行けばレジのおばちゃんに「あら、こんにちは!今日は暑いわねー」などと声をかけられる。こういうことを積み重ねていくたびに、この街に受け入れられたことを実感するのだ。最近は、毎朝私の出社時刻に家の前で鉢合わせするバイクに乗ったおじさんと挨拶を交わすようになった。「おはよう!」「お、兄ちゃん今日はゴミの日だよ!」「寒いねえ!」「何だ、一人暮らしなのか!早くいい奥さん掴まえんだぞ!」……こんな些細なやり取りに、心を暖める毎日。こんな小さなことが、もしかしたら幸せなのかもしれない。


しかし、そのおじさん、どうやら私のことを前から知っているような風情なのだ。彼は初めて道で会った日から、「よお、兄ちゃん!おはよう!」と初対面とは思えぬフレンドリーさで話しかけてきた上に、顔面に喜びと親しさを前面に押し出した満面の笑みを浮かべていた。私自身、彼とはどこかで会ったことがあるような気もするのだが、いまいち思い出せない。まあ私の職場もこの界隈だし、きっとどこかで会ったのであろう……脳内でのおじさんの正体探しを一旦打ち切り、私は商店街にある肉屋へと足を運んだ。その肉屋はコロッケもメンチもハムカツも何もかもが大変おいしく、休日になるたびに足しげく通っているのだ。ただ、コロッケ一個などでは我慢できないのがデブの性。いつも「私は夫婦で暮らしているのですよ?」といった雰囲気を醸し出し、すべての揚げ物を二個ずつ購入するという暴挙に出ている。まあ、顔が割れているわけでもないし、相手は私が寂しいチョンガーだとは思ってもいまい。最近は忙しくてなかなか来られなかったが、よし、今日は思う存分揚げ物を貪るぞ!こんにちは!すいません、今日はこれとこれとこれとこれ、全部二個ずつお願いします!


「よお!兄ちゃん!独り身なのによく食うねえ!!」


え、なに、何なのこのオヤジ、何で私が独り身だって知ってんの!?驚愕して顔を上げると、そこには毎朝挨拶を交わす、見慣れたおじさんの笑顔があった。どこかで見たはずだった。彼は、私が常連となっている肉屋の主人だったのだ。今まで店で見せていた「うちのワイフ、ここのコロッケが好きでねぇ……」などという愚かな小芝居は一瞬にして黒歴史と化し、「えぁ、うぁ、はぁ……」などと阿呆のように口をパクパクさせることしかできなかった。「俺が言うのもなんだけどさ、摂生しなよ!」とカラカラ笑うおじさんの声を背中に受けながら、私は、生きるとは一体何なんだろうと考えずにいられなかった。合計八つの揚げ物が入ったビニール袋が、やけに重かった。

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